洛西の河川の変遷図




(マウスポインタを置くと西高瀬川開削当初(明治初期)の洛西の河川の流路が見られます)






上の図を見るポイント:

@西高瀬川が開削されたことで嵐山から二条城まで舟で物資を運ぶために、以前は桂川を下って鴨川・堀川を上らなくてはいけなかったのが、ほぼまっすぐに運ぶことができるようになったことがお分かりいただけると思います。
基本的に南北に流れるものがほとんどである京都の河川の中で、東西を結ぶ西高瀬川が開削されたことで、桂川水系と鴨川水系がより有機的に結び付けられることになりました。


A現在の西高瀬川下流部はかつての天神川堀川という自然河川の流路を受け継いでいるのがお分かりいただけると思います。これは昭和10年に起きた京都大水害の後に大幅な河川改修が行われ、天神川が御室川に注ぐように、堀川がまっすぐに鴨川に注ぐように付け替えられたためです。
元々、西高瀬川は堀子川や四条川といった小さな自然河川や農業用水をつなぎ合わせて造られた程度の水路でしたが、後に天神川や堀川といった比較的大きな自然河川の流路が下流部として組み込まれたために、上流部と下流部の様相が大きく異なっているわけです。



1、みそそぎ川(取水口〜高瀬川分岐点)
2、みそそぎ川(高瀬川分岐点〜鴨川合流点)
3、高瀬川源流庭苑
4、高瀬川(二条〜五条)
5、高瀬川(五条〜七条)
6、高瀬川(七条〜十条)
7、その他の「高瀬川」 1 (東高瀬川上中流部)
8、その他の「高瀬川」 2 (東高瀬川下流部・旧高瀬川)
9、その他の「高瀬川」 3 (西高瀬川上流部・古高瀬川)
10、その他の「高瀬川」 4 (西高瀬川中流部)
11、その他の「高瀬川」 5 (西高瀬川下流部)

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