源兵衛渡し跡
富島渡しよりおよそ1000メートル下流の安治川で運航されていた渡しです。
安治川橋
(
富島渡し
の章を参照)の爆破後の明治30年、源兵衛によって渡しが設けられたのがはじまりです。九条と西九条を結ぶ交通の要所として賑わい、昭和期に入ると交通量の増加から安治川隧道(ずいどう=トンネル)が計画され同19年に完成しました。当初は車専用のトンネルもあったのですが現在は歩行者と自転車の乗客のトンネルのみが利用されています。
源兵衛の渡しがあった付近の安治川。正面の建物は安治川隧道のエレベーター。
「源兵衛渡し」の名は交差点名に残されています
安治川隧道のエレベーター。自転車ごと中に入ります。
トンネル内の様子
車専用のエレベーター。現在は閉鎖中です。
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