紫明通周辺の疏水分線




鴨川以西の疏水分線の流路は紫明通に転用されています。戦時中の道路疎開(川を暗渠にして道路を新設するなどして空襲による炎が広がるのを防ぐ措置)の影響です。

不自然に蛇行する紫明通。かつて疏水分線の流路であった証拠です。紫明通の中央分離帯。駐車場に転用されている箇所も多く疏水分線の痕跡が感じられません。



疏水分線の終点は現在の堀川紫明の交差点のあたりです。ここで小川(こかわ)(現在は消失)という川に注いでいたといいます。



現在の堀川紫明交差点



*参考 小川(こかわ)

堀川通沿いに流れる堀川の支流で柊野堰堤(ひいらぎのえんてい)付近から鴨川から分水していたようです。昭和40年頃に暗渠になってしまいましたが、小川に架かっていた橋などの痕跡がわずかに残っています。


趣きある小川(おがわ)通。通りの名称はそばに流れていた小川からつけられたといいます。不自然に道路の幅が変わる場所。小川が流れていた痕跡が残っています。




現在も残る小川に架かっていた橋



小川の河道跡を利用した公園


百々橋の礎石。かつて小川に架かっていた橋で、中世の応仁の乱が端を発した場所とされているそうです。百々橋は現在洛西ニュータウンにある竹林公園に移されています。




堀川との合流点。写真中央の一条戻り橋下の四角い穴が小川の出口に当たります。



●メモ

◎百々橋の礎石は室町小学校にも置かれています(一般公開はされていません)。




1、南禅寺周辺の疏水分線
2、哲学の道周辺の疏水分線
3、北白川周辺の疏水分線
4、一乗寺周辺の疏水分線
5、下鴨周辺の疏水分線
6、紫明通周辺の疏水分線

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