神泉苑





旧山城湖の名残!?
約200万年前の更新世(洪積世)末期、京都盆地全体は山城湖と呼ばれる湖沼だったと言われます。やがて完新世(沖積世)に入った約1万年前から湖は次第に消滅していきましたが、現在の二条城付近は底に位置していたため水が取り残されていました。

禁苑として
神泉苑はこの山城湖跡の湿地帯を利用して、平安京造営の際に造られた庭園です。庭園内には豊かな清水が湧き出る神泉*注)があったことから名づけられました。8万平方キロメートルものの広さを誇った大きな禁苑(特権階級のみが入ることを許された遊興の場)で、しばしば天皇や貴族がここで行事や遊宴を催したといいます。

注:御池通の名前はこの泉が由来になっています。

江戸時代に縮小
江戸時代になると二条城に神泉を含めて敷地の大半を譲って、現在の姿になりました。禁苑としてのかつての姿を偲ぶのは難しくなりましたが、旧山城湖の貴重な遺跡として大切にしたいものです。






現在の神泉苑の大部分は法成就池という大きな池に占められています。


法成橋と善女龍王社美しい法成就池



池に浮かぶ中島。五位鷺が棲んでいるそうです。平安期に浮かべられていた貴族の舟の再現



法成就池の水は湧き水の他に二条城の外堀の水が導入されています。


池に放たれる水池に棲む亀さん




●メモ

◎入場料は無料です。気軽に散歩できる素晴らしいスポットです。




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